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JB Press 2013.03.19(火) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37384
中国の政治:旧体制と大革命
(英エコノミスト誌 2013年3月16日号)
中国が政治的な転換点に近づいていると考える人がいる理由
中国に5億人以上いるインターネットユーザーの一部にとって、3月第3週のビッグニュースは、習近平氏が国家主席に就任したという、ずっと以前から予定されていた話ではなかった。
習氏は既に中国共産党と同党の中央軍事委員会の運営というもっと重要な職務を担っている。
彼らにとってのビッグニュースは、予定されていた話ではなく、嬉しくもなく、そして説明もつかない事件だった。
何千匹ものブタの腐敗した死骸が、川を下って上海に流れ着いたのだ。
上流の畜産農家が投棄したものと思われている。
中国では公衆衛生や汚染、汚職に関するスキャンダルが次から次へと表面化しており、この一件はその最新事例となる。
だが、インターネットユーザーたちの間で一般的な認識、つまり、
中国という国は驚異的な経済発展を遂げているものの、
どこか腐っており、変化せざるを得ない
という見方をこれほど明確に(しかも嫌な形で)象徴する出来事は、ほかにあまり思い浮かばない。
■限界に近づく一党支配
多くの人が、中国は変わると考えている。
米国の学者アンドリュー・ネイサン氏は、10年前に、中国共産党の適応力、生存能力を表現するために「独裁主義のレジリエンス(回復力、打たれ強さ)」という言葉を生み出した。
そのネイサン氏が最近、米国の季刊学術誌ジャーナル・オブ・デモクラシーの
「中国は転換点にあるのか?」
という刺激的な標題の特集に論文(PDF)を寄稿し、
「中国の独裁体制のレジリエンスは限界に近づいている。
1989年に天安門事件が起きて以降、現在ほどこの共通認識が強まったことはない」
と書いている。
1976年に毛沢東が死去してから、外国人はずっと、一党独裁の崩壊を予想してきた。
実質的に民間部門が存在しない中央計画経済を想定して築かれた政治システムが、活気ある開かれた新しい中国で、いつまでもそのままの形で存続できるわけがない。
1989年に、中国は革命の寸前まで行った。
ソビエト連邦とその衛星国で改革が起きてからしばらくの間は、次に倒れるドミノは中国であるように思われた。
しかし、中国共産党は、1989年時点で想像されたよりもはるかに耐久性が高く、国民の支持も強かった。
そして、中国の経済が急成長する一方で、西側の民主主義は低迷し、独裁主義はかつてないほどのレジリエンスを見せた。
好景気に沸く中国では、2011年に起きたアラブの春を真似ようとする者はほとんどいなかった。
いたとしても、国中に浸透する「安定維持」機構によって容易に抑え込まれてしまった。
中国が転換点に近づいているかもしれないと考える理由を、1つの変化によって説明することはできない。
しかし、社会の発展が一党独裁の基盤を蝕んでいるのは確かだ。
党に対する恐れが縮小しているのかもしれない。
5億人近くいる25歳以下の国民には、天安門事件の流血の弾圧の直接的な記憶がない。
何しろ中国政府は懸命に、事件について若者に知られないようにしてきた。
少数ながらまだ、公開書簡を提出し、裁判所に悩まされ、実刑判決を受ける反体制派も存在する。
しかし多くの国民は、オンラインで体制打破を掲げるチャットに参加し、共産党など無視するか、そうでない時は党をあざ笑うような態度を取る。
抗議行動やデモなどの「集団事件」は急増している。
農民は強欲な地方役人による土地の強奪に腹を立てている。
中国東部に集まる輸出製品の工場に勤める第2世代の労働者は、両親の世代より野心的で反抗的だ。
そして、都市部の中間層は急激に拡大している。
■急増する中間層の不満
中間層の台頭は、ほかの国では、民衆の力により(韓国など)、あるいは話し合いにより(台湾)、独裁政権の打倒につながった。
中国の中間層の多くも不満を抱えているように見える。
彼らは、共産党が蔓延を許した汚職や格差に怒りを抱き、食品に含まれる有害物質や窒息しそうな大気汚染、水源に流されたブタの死骸にうんざりしている。
インターネットや携帯電話の通信技術は、ニュースや怒りを国中に広める手段を与えてくれる。
共産党は、ばらばらに散らばったこうした不満が集積し、1つの運動に発展しないよう、必死にならざるを得ない。
党はたくさんの金づちと釘を持っている。
しかしその努力は、糠に釘を打つようなものだ。
変化を予想するもう1つの理由は、習政権が、こうした現状を把握しており、政治改革に真剣に取り組むと公言していることだ。
年1回開催される形式的な議会、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開催されたが、今回も政治改革が議題となった。
収賄役人たちの誇示的消費を一掃する取り組みは、共産党が本気になったことを示唆している。
省庁を統合し、政府を「合理化」する計画は、強力な既得権と改めて戦う決意の表れだ。
習氏は共産党に対し、「硬い骨に噛みつきながら危険な浅瀬を渡るような」勇敢な改革を要求している(「歩きながらガムを噛む」のは弱虫がすることだという)。
ただし、ここで改革が意味するのは、一党独裁に手をつけることではない。
むしろ、全人代の報道官、傅莹氏も述べているように、
中国の政治改革とは「社会主義を中国風に自己改善し、発展させる」ことだ。
言い換えれば、
一党独裁を弱めるどころか、強化することを意味する。
習氏もそう考えているようだ。
ニューヨークを拠点とするウェブサイト「北京之春」には、習氏が2012年後半に中国南部を視察した際に行った演説からの引用が掲載されている。
習氏はその中で、「共産主義の実現」への信念を明言している。
■中国における民主主義
習氏はまた、ソ連の共産党の失敗から学ぶべき教訓を挙げている。
「共産党が軍の手綱をもっと強く握らなければならない」。
中国とソ連の決定的な違いとして、軍が国民に銃を向けたかどうかを挙げたのは正しい。
習氏にとって、「中国のゴルバチョフ」以上に屈辱的なあだ名を考えるのは難しい。
習氏の立場からすれば、ミハイル・ゴルバチョフの経歴は失敗の実例だ。
中国の知識人の間では、アレクシ・ド・トクビルが1856年に出版したフランス革命を題材にした著書『旧体制と大革命』を読むことが流行している。
中国で最も共感を呼んでいるのは、
旧体制が革命に倒れるのは変化に抵抗した時ではなく、
革命を試み、期待を裏切った時である、
という主張だ。
もしトクビルが正しければ、習氏は乗り越えられないジレンマに直面している。
共産党が生き延びるには、改革が必要だ。
しかし、改革こそが最大の危険かもしれないのだ。
もしかしたら、習氏はもっと抜本的な政治改革に解決策を見いだすかもしれない。
しかしその場合、ブタが川で腐敗するくらいでは済まない。
ブタが空を飛ぶくらいに、考えられないことが起こるはずだ。
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英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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【中国はどこへむかうのか】
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